「新 中國鉄道案内記」その3

●岡山驛:岡山市萬町(今の岡山気動車区辺り)にあり、建坪72坪、機関車庫133坪、客貨車子庫167坪、貨物庫48坪、驛員舎65坪 ●玉柏驛:御野郡玉柏。建坪48坪、貨物庫18坪、驛員舎21坪 ◎管掛の掘鑿:人も通れないくらいの難所を切り開き、軌道を見上げれば、一面に岩が突出して、今にもおちてきそうである。ここの急な弧を描く線路の下は、旭川も折れ曲がり、深い川の青さは素晴らしい眺めである。 ◎手立隧道:野々口の手前2.1km余りにあり、その長さは凡そ500mで、煉瓦で巻いてあり、下部の直壁は花崗岩で、その厚みは約45cm。硬い岩盤であったため、工事は困難を極めた。 ●野々口驛:津高郡野々口。玉柏驛と同じ ◎岩子の藪:この藪のある旭川の岸は、凡そ24mの高さの岸が二段崖になっていて、最上段が線路、中段が県道、その下に旭川が流れていて、眼下に青い流れを見ながら、行き過ぎて振り返れば、素晴らしい景色である。 ●金川驛:津高郡金川村。岡山より約19kmにあって、宇甘川が合流する為、備作交通の要地為、非常に繁栄しており、郡役所、警察署、岡山区裁判所出張所、郵便局、津高・赤阪両郡の収税署がある。驛の建物は、48坪、貨物庫24坪、驛員舎27坪。旭川の西岸の県道を北に行くと鹿瀬の渡しに達する ◎宇甘川鉄橋:金川驛より、800mの所にあり長さ114mのガーダー式。一つの橋桁が21mのものを8つ架けるために7つの橋脚を設けている。線中、二番目の長さである。 ◎箕地隧道:金川驛より、約4kmあり、長さは730m余で構造は手立と同じ。四五年前までは、このように岩石のみの隧道では煉瓦を巻かないとしており、

「新 中國鉄道案内記」その2

◎会社の組織:社長を杉山岩三郎氏とし、専務取締役、取締役六氏らの経営陣、監査役 正副の支配人を配し、庶務課、会計課、倉庫課、用地部、技術部、運輸課が組織されていた。 ◎各驛の名称・停車場の驛員:岡山市には驛長、助役、出札掛4名、車掌11名。玉柏・野々口は驛長、出札掛各1名。金川は驛長、出札掛2名。福渡は驛長、助役各1名、出札掛3名、ポイントメン1名。弓削、誕生寺、亀甲は驛長、出札掛各1名。津山は、驛長、助役各1名、出札掛3名、車掌4名の体制であった。岡山市津山間(現岡山気動車区辺り~津山口)の距離は、55.9km余り。 ◎機関手は6名(内2名は津山駐在)、心得2名、火夫5名、点火番1名、車両検査員2名 ※火夫:機関助手にあたり、これを経て機関手となっていく。 ◎橋梁:旭川橋梁をはじめとして総数48ケ所、最も長い旭川橋梁は185m余り、最短は三谷川第二号橋で3.6m余り ◎コルベルト(橋の小さいものの称):総数89ケ所 ◎曲線:最もきついものは、百呎弱の半径にして・・・とある(が、1呎が30㎝とすれば、半径30mとなりこれは誤記と考えざるを得ない)現状R225と表記されているのが、最小半径 管掛崖下あたりは、この曲線を用いた急カーブである。 管掛崖下:玉柏から牧山方の山肌にへばりついて走る箇所ではないか。 ◎高低:誕生寺池付近を最高とし、岡山市との高低差170m。 ◎勾配:40分の1の勾配で、箕地、手立隧道の前後にこれがある。 現在では‰表記が一般的で25‰の坂となる。 ◎築堤・開鑿:山間地であり、築堤はそれほどでもなかったが、開鑿は、想像を絶する困難を極めたが、よく切り開いてき

鉄路が消える日

2018年3月31日、JR三江線が幕を閉じた。そして、運行最終日や、最終日に向けてのの盛り上がりが嘘かのように、静まりかえった駅や、やがて消えるであろう空しく点灯する信号や、遮断棹が外され、逆に線路側に柵が設けられた踏切等の写真が、鉄道ファンのSNSサイトに投稿されていた。三江線は、存続に向けた取り組みはされていたのか?私の知る限りでは、利用促進を謳うサイトが設けられていたり、地元の伝統である石見神楽のラッピング列車の運行など、取り組みはなされていた。が、利用に繋がらなかったのか。取り組みには、地元住民の利用、観光などの用途での圏外旅客の利用促進があるが。大切なのは、やはり、地元住民の利用促進、「必要性の訴え」だと考える。観光列車の運行はトリガーには有効であるが、その運行自体で運用益は望むべくもなく大きな持ち出しのはずである。行政は、鉄道のスピードアップや、快適性向上等の、耳障りのよいコメントだけ発信するが、住民みずからの利用促進の呼びかけ、仕組作りは知ってかしらずか、触れようとしない。中国山地の路線には、“危ない”と囁かれている路線、所謂「廃線危惧路線」が多い。ある本には、高速道路に充実と、人口減少がもたらしたとある。切迫感を感じた、木次線沿線、芸備線沿線では、「利用促進」を謳った取り組みが始まった。道路を何百億円をかけてつくっても、数キロがいつできるかわからない。開業120周年の津山線。ここで、公共交通についての考え等論議したり、見識者の意見を聞く場をもつ機会を行政は志向しないのは何故か?わかりません。

「新 中國鉄道案内記」その1

山陽新報「中國鉄道案内記」より ●中國鉄道:岡山市を起点とし鳥取県西部の米子港を終点とするものが中國鉄道株式會社が最初に計画した路線である。今まさに、起点より56km余ができあがり、美作の津山まで至った。全体の三分の一強である。(※この時点では、米子へ至る路線の一部としての位置づけであった。蒸気機関車にテンダー車が導入されていたのも、その企てが窺える) ◎発起人:437名で、総代は杉山岩三郎氏として、東京の三氏、大阪は三十四氏、香川県三名、愛知県八名、愛媛、和歌山、兵庫は各一名、その他はすべて岡山県の皆さんで三百八十三名の方々である。 ◎創業会:明治二十八年十二月十八日発起人の皆さんが一同に会し、杉山氏を総代として願書を差し出したところ、免許状は二十九年四月三十日におりた。 ◎起工式:起工式は、明治三十年七月二十八日である。何故、起工式迄時間がかかったかは、敷地買収が非常に難しかった為である。 ◎試運転式:11月二十五日に行われた。この日は貨車(土運車とある)にお客さんを乗せて走った。機関車の吐き出す煙で皆顔を真っ黒にした。客車が到着し、その試運転は十二月十二日であった。 ◎成工検査:逓信省技師による検査が全線を往復して行われ、鉄橋の撓み橋脚の構造等精密に調査が無事終了したのは、十六日だった。 ◎軌条:平底のピグノール軌条で、英国のボーコンボン製造会社製(※日本では官設の八幡製鉄所が操業を開始したのが1901年、釜石鉱山田中製鉄所が1887年とある)軌間は普通通り 3フィート6インチ 1067mm(※所謂狭軌。さらに軌間の短い762mmの特殊狭軌線の所謂軽便鉄道があり、これらが

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