写真は、中鉄バスさん「中鉄90年の歩み」・江見写真館さんの許諾を得てから転載しております

文章は、久保豪氏「津山線・吉備線百年史」、中鉄バス「中鉄90年の歩み」小西伸彦氏「みまさか鉄道ものがたり」参照画像をクリックすると、拡大画像がご覧いただけます。

Chugoku Railway was one of the major private railways Prefecture of Okayama.Founded in 1898,it had the 72.9km

network at final stage.Now they servive as the Tsuyama and Kibi Lines of the Western Japanese railway.

岡山市駅

岡山市駅

​「中鐡90年の歩み」より撮影者不詳

津山駅

津山駅(現津山口)現在の津山口駅へ

津山市・​江見写真場提供

◇高瀬舟依存の南北交通改善、瀬戸内~山陰の連絡に鉄道敷設気運盛り上がる

明治24年:山陽鉄道により、県南部を貫通。

​◇明治25年「鉄道敷設法」により、官設鉄道の計画が示される

①姫路~鳥取~境、②岡山~津山~倉吉~境、③倉敷~米子~境

鉄道会議は①東方線(その後の財政悪化、計画変更で実現に48年)を採択

◇「私鉄」での鉄道建設に。⇒中国鉄道設立・岡山~米子敷設申請し29年に免許下付。同年第一期として岡山~津山間の工事を開始 資本金500万円(現在の100億円)資金を募る。株主は全国に及び県外では、大阪 が多く、県内も沿線も多かった。中小株主多い構造。三井・三菱・藤田等大資本の 山陽鉄道と違い、庶民派鉄道の面目躍如。 開業直前には60万円の社債発行、資金調達に安田財閥Gが資金調達に応じ、⇒安田善三郎が取締役となり、その後安田保全社による統轄となる。

中國鐡道の構想

当初は、岡山から、津山・勝山を経て米子、境港を結ぶものであったが、米子~境は官製線と競合するとして、岡山~米子で免許下付一期として津山迄開通。その後、資金難等で、延伸を断念。

 ◇工区を6つに分け、第二工区の手立隧道で着工。第三工区箕地隧道で起工式

 難工事と物価高騰で工事中断により建設費も当初の2倍272万円(岡山~米子

 402万円の68%)⇒津山以北工事断念の原因

​◇岡山駅乗り入れは、費用分担で折り合わず。跨線橋北に、岡山市駅設置

◇明治31年11月岡山~津山接続。25日、報道陣を乗せて試運転列車が

 両駅間を往復。その後、逓信省の成工検査合格。12月21日開業

 山陽鉄道につぐ、中国地方2番目の鉄道としてスタートすることになる 

1900年(明治33年)の鉄道路線図

 中国地方では、山陽鉄道(山陽本線)

 以外は、中国鐡道だけ。

 この時代、いかに進取の気概があったかわかる

 というもの。JR津山線は、この時代からず~

 と 変わらず走っている。

​ (京都鉄道博物館の展示パネルより)

明治31年12月21日中国線開業。11時4両編成の処女列車。新聞報道

 では「途中、金川、福渡で1000人、弓削で300人の見物客が押し寄し

 花火も打ち上げられ、大変な歓迎ぶり、津山はさらに盛大だっと」ある。(山陽新報)

 運賃(3等)52銭(高瀬舟の倍)、時間:2時間30分、 本数:4往復

 運転本数については、臨時列車の設定、翌年2月から7往復化とある。

 開業時の時刻表はこちら(宣伝にある、臨時列車も)

津山線:岡山市停車場~津山停車場:56.3km(34哩76鎖)昭和5年メートル化

〇単線、軌間:1067mm 軌条:ビグノレール25kg/m英国製 9停車駅         

最急勾配:1/40(25/1000)、隧道:3 橋梁:137※ 最長は旭川橋梁、 信号機:セマフォア(腕木式)信号機(※橋梁にはコルベルト:89を含む)

〇閉塞方式:票券式   機関車、車両、枕木、犬釘まで英国製(御津町史)

下記に駅他の施設を記す。手立、箕地に保線要員(?)を配している。

駅施設・保有車両等は下図参照。旅客運賃:岡山から、玉柏:6銭、野々口:15銭、金川:18銭、福渡:28銭、弓削:37銭、誕生寺:40銭、亀甲:45銭、津山:52銭(3等)。2等は、3等の1.5倍、1等は2倍。津山~西大寺の高瀬舟の2倍とある。

明治34年、米ボールドウイン社製、テンダ式機関車(5~8号)4両導入(米子延伸目論む)

「中鐡90年の歩み」より

臨時列車広告(開業時)

topics

手立の急勾配では機関車は立往生し、下牧迄後戻りした後、勢いよく引き返した。又、煤煙により、役場や民家、山火事等を発生させた。[出典:御津町史]

岡山市駅の矩形機関車庫

「中鐡90年の歩み」より

 

topics

陸上交通では、人力車が大きく影響を受け、金川にあった約80丁が14丁に激減 [出典:御津町史]

​◇米子延伸を断念:延伸事業、資金不足で余裕なし(工事費増、吉備鉄道買収)

明治37年 山陽鉄道岡山駅への延伸吉備線の開通。39年に山陽鉄道国有化

◇岡山延伸後の明治43年の時刻表をみると、津山線の列車(混合列車と推測)

 5往復、貨物が1往復、福渡までの貨物1往復の内、3~4本は吉備線直通

 この時期、吉備線は10往復の旅客列車が運転されている。

 中国鐡道は、客車収入が貨物の3倍、70%を占め、線別にみると、吉備線

 は旅客主体、一方津山線は、貨物のウエートが高い。このように、中国鐡道

 の開通は、産業を発展させていた。又、明治40年には、客車をボギー式に

 改造、又ボギー式客車を購入しカーブ走行性能をアップさせている。

建部駅 

開業2年後に開業。地元寄付の請願駅で、​3900円の工事費

◇営業成績は、営業係数50~60と今では考えられない業績で、明治34年係数が80に

 なった時には、社内改革を断行している。

​ この時期の私鉄の平均的値である。又大正8年の輸送量は都市部の私鉄(東武、南海)等に

 伍して健闘。交通需要量ある程度有、競合交通機関ない為だろうか。

大正元年、玉柏、野々口間に牧山停留所が開業

・大正9年には、客車に便所を設置。

貨客混合列車(昭和11年) 

「中鐡90年の歩み」より撮影者不詳

「御津町史」に明治、大正期の金川駅の貨物の取り扱いを記した表があります。当時を知るうえで興味深いものです​写真をclickし、拡大してご覧ください。どういうものが、移出され、移入されていたか、その変化等が7わかります。〔出展:御津町史 P579~581〕

 
金川駅明治36年貨物

明治36年 

金川駅大正7年 貨物

大正7年 

金川駅大正13年貨物

大正13年 

◇大正12年8月作備線津山口(津山から変更)・津山・追分間が開通。

津山の新しい玄関口は、省線津山駅(写真へ)となった。 津山駅が、川を渡らなかったのは、架橋による水害を心配した市民が反対した為​・同年、亀甲,津山口間に佐良山駅開業

◇大正15年、福渡、金川、野々口、玉柏にタブレット閉塞器設置の記述⇒通票閉塞導入

・昭和3年ボギー客車を小湊鉄道から6両導入

◇岡山~津山バス路線:大正9年創業の津山の巴商会が運行開始し、山陽自動車が買収し運行。昭和3年同区間は、バスが片道1円30銭、往復2円、

1時間毎。鉄道は、1円70銭、6往復/日。自動車攻勢に、電化の検討もしたとか。結局ガソリンカー導入(昭和5年2両)と、往復割引運賃設定で決着。昭和10年には、山陽バスを傘下に、14年に買収。5年間の鉄道・バス兼業時代を迎える。

昭和4年神目駅開業:請願駅で、全額地元負担。

昭和9年9月の室戸台風は県下に大きな被害をもたらし、旭川橋梁も、第一~第四橋脚が流された。4km下流迄流されたガーダもあったとか。

陸軍鉄道第一連隊(千葉)将兵等約500人*による昼夜をわかたぬ復旧作業の結果、およそ2か月半で、仮復旧し、列車が通過した。*2019-11-5

鉄道連隊については、こちらから(習志野市のHPへ)

「中鐡90年の歩み」より撮影者不詳

岡山~津山運行の山陽自動車のシボレー(昭和7年)

流失した旭川橋梁

津山市・​江見写真館提供

◇昭和11年には、14往復/日に増便。所要時間も悲願の2時間を切りを実現。

  ガソリンカーの運行は、当初岡山~福渡、その後津山へ延長だった模様。

昭和15年の時刻表では、岡山~津山、気動車で、1時間40分代。

◇昭和16年以降戦時下の、ガソリン統制で、ガソリンカーの運行を中止したり、

 木炭瓦斯発生装置付きのガソリンカーの運行が行われた。(吉備線のみ)

昭和19年、戦時買収により国有化される

 国有化、最初のダイヤ改正では、軍事列車優先で1往復減とある。

 以降、中国鉄道(後に中鐡バスに改称)は、バス事業者としての道を歩む。

昭和5年~導入のガソリンカー

「中鐡90年の歩み」より撮影者不詳

All Lines were Nationalized in 1944 due to the wartime policy.

写真は、自ら撮影したか、撮影者からの提供いただくか、出版物については、出版社を通じて、写真の撮影者等に確認しております。何かありましたら、ご連絡ください。

けふの天気をさいはひに

中國線の汽車に乗り 煙残して岡山

あとに玉柏 野々口や 金川つぎに箕地なる

トンネル過ぎて建部

鉄橋渡れば作州路 しあわせよしや福渡※1

弓削の焼酎名も高く つぎは美作誕生寺※2

源容上人の誕生地 名さえめでたき亀の甲※3

久米の皿山さらさらに

名残も尽きぬ津山駅 川の向ひの津山町※4

​千代のことほぐ鶴山に 城跡残りて名もゆかし

 

※1作州路:建部町と合併前の福渡町は久米郡でした。

※2弓削の焼酎:ネットでみると。弓削焼酒の名は全国に名を知られる特産品として珍重された。とあります。

​※3源空上人:法然上人のことの様です。

​※4中國鐡道津山駅(現津山口)は、久米郡佐良山村に設けられました。

これら、貴重な写真は、江見写真場さんから​ご提供いただきました。

中國鐡道津山駅(現在の津山口駅) 現在の津山口駅へ👉

 

省線津山駅(現在の津山駅) 現在の津山駅へ👉

室戸台風で流失した旭川橋梁(昭和9年。第一~第四橋脚は、流出。この時、残った第五,六橋脚は、明治の面影を残している)

 

現在の旭川橋梁(第五,六橋脚は、明治の面影を残している)

津山保線区の人々(撮影年不詳)今は、津山保線管理室が、姫新線(万の乢~勝山)、因美線(~智頭)、津山線(~神目・福渡間)の140kmを担当

■現在の保線作業は機械化

写真は、自ら撮影したか、撮影者からの提供いただくか、出版物については、出版社を通じて、写真の撮影者等に確認しております。何かありましたら、ご連絡ください。

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