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・この頁の編集には、小西伸彦著「みまさか鉄道ものがたり」、「鉄道遺産を歩く」を参考にさせていただきました。

・写真は鉄道遺構に詳しいTwitter name陽氣發處さんから提供いただきました。​監修もお願いしました。

法界院駅ホーム

上記書籍によれば、1番線は谷積み花崗岩、3番線は最下部に花崗岩が一列に並んでいる。とある。

玉柏駅2番(駅舎側)ホーム

牧山駅2番(入口側)ホーム

野々口駅1番(駅舎側)ホーム

野々口駅2番ホーム

​高速化工事でコンクリートで改築

金川駅旧駅舎

岡山市御津支所提供

金川駅のホーム

煉瓦積みで、上部はモルタル塗りだろうか?

金川駅のホーム2

コンクリート造りの駅舎、新設の上屋と、時代が止まった様な煉瓦造り

 

建部駅の建物財産標

明治33年3月との表示が、建設当時の面影を留める。「有形登録文化財」

建部駅の駅員舎

市道拡幅の為、取り壊されたが鉄路を守った人達の毎日の生活の姿が想像できる建物だった。

官舎を臨める頃の建部駅

官舎は、駅で早朝から、深夜まで、働いておられた駅員さん、今の様に、マイカーで職場への時代ではない必須の施設。

建部駅の鉄柵

鉄道には古軌条を活用した施設は多く見れれるが、これは鉄柵に利用。津山線に見られる人道跨線橋にも利用されている。

福渡駅ホーム2番線ホーム

こちらは、花崗岩布積みで造られたと思われる。「FOR OKAYAM」が何ともモダンじゃないですか。

福渡駅ホーム1番線ホーム

こちらは、煉瓦をイギリス積み重ねて造られたもの。ホームによって製法が違う。明治の時代でしょうか?

ホームのワイヤー(滑車)出口

てこから、ワイヤー・ロッド等を介して信号機、転轍機を動かしていた。その出口。ここで動きを直角に方向転換。

福渡駅ホーム1番線ホーム

煉瓦を積み重ねて造られたもの。アップで、よくわかる。当初の建築素材の主役は、煉瓦でした。隧道や,橋脚にも使用されている。

福渡駅の建物資産標

明治42年1月との表示だが、「津山線・吉備線百年史」によると、大正元年に火災で焼失とあり、齟齬があるのだが。

福渡駅ホーム3番線ホーム

花崗岩を積み重ねて造られているが2番線とは積み方が異なる。谷積みとよばれるとのこと。

 

Urban Tobu Netより

神目駅未使用ホーム

神目駅の未使用ホーム

駅の開業が昭和4年、交換設備は「津山線・吉備線百年史」の浅野氏の調査では、昭和39年~43年頃あった様である。管理人も記憶がある。

構内踏切用階段の遺跡

交換駅は駅員さんが居て、ホーム間の移動は階段を降りて線路上を移動していたが、写真はその階段。右の鉄製の蓋で、列車が着くとき蓋をした。

神目駅の現役ホーム

​片面1線で、岡山、津山行共、このホームを使用。曲線部にあってカントの為、車両が傾いて停車する。

弓削駅の2番線ホーム

​2番線(駅舎側)のホームの擁壁は、イギリス積み(下図)の煉瓦づくり

弓削駅の2番線ホーム

中央のコンクリート部分は、旅客通路の階段のあった部分だろうか?

弓削駅の建物財産票

「明治31年12月」の刻印

煉瓦と煉瓦を固定するのは、通常セメント、又は、石灰と砂をとき混ぜ、水で練ったモルタルが使われる。

美咲町提供

亀甲駅の1番線ホーム

転轍機の稈の出口

​亀甲は、梃から転轍機へはワイヤーではなく稈だったと思う。

構内踏切階段のあった部分?

第十架道橋

​金川野々口間にある。Iビーム構造(I型桁)ということ。制限高にご注意を!

桁は舶来

​鋼材は英国の「ドーマンロング社」製、中國鉄道とは所縁のある会社だとのこと。

『死事工夫の墓』

​「金川駅建部方鉄橋手前の利国神社前に津山線開通月に建立。墓石に左側に犠牲となった7名の出身地と氏名(県内4名、広島、島根、香川各1名)、右側は請負業者今村組(千葉)の名が当時の産業発展を支えたのは殖産興業に糊口を求めた貧農生活者だったと言われている。」(小西伸彦著「鉄道遺産を歩く」参照。

​ 写真:河西さん

『宇甘川橋梁を行くキハ40単行』

​今はこともなげに列車を利用する私達。中國鐡道建設に殉じた方々や、建設に向け株式の募集に応じた多数の篤志家の人たちの心を無駄にすることなく、津山線の維持はもちろん、益々の発展に尽力していかなければならない。

写真:河西さん

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